生物と計算機のあいだ

個人的にうまくいったかなとおもったことを書いています。うまくいかなかったらごめんなさい。

アメリカにJ-1ビザで研究留学するまでの大まかな流れ

縁あって、アメリカの大学でポスドクをすることになった。
ビザを取得して渡航するまでの流れを大まかに書いておきたいと思う。

【2018年6月】
 受け入れ先の研究室にEメールでコンタクトをとった。分野を少し変えるのもあり、面識がなかったのでメールでのコンタクトになった。似た分野でポスドク先を探す場合は学会などで自分をアピールするとよいと思う。ポスドク先の探し方に関してはまた別の記事として書きたいと思う。

【2018年7月】
 7月上旬にSkypeでの面接。ラボメンバー全員がいる前で自分の研究をプレゼンすることになった。大体はボスとの1対1でのらしいが、私のケースではポスドクや学生もいた。これはかなり緊張したが、なんとが無事に乗り切ることができた。当日中に先方のお金で雇うから来ないか、というオファーをもらうことができた。
 7月下旬に研究室訪問。これまで面識もなく面接の時にもじっくり話をすることもなかったので、ボスがどんな人であるのか、ラボの雰囲気などが知りたいと、ラボ訪問をさせてほしい旨を伝えた。幸いなことに旅費も出してももらい、研究室見学をすることができた。旅費を出してもらえるかは交渉次第だと思う。変に気を使わず、自分の思っていることはちゃんと主張するべきだと思う。ここで、ラボメンバーとの個別なディスカッションの時間も設けてもらい、研究に関することやラボの雰囲気についても聞くことができた。お昼にはラボメンバー全員でご飯を食べに行き、夜はボスと2人でご飯を食べに行く時間も作ってもらうことができたので、ラボの雰囲気に関しては安心することができた。
 もう一つ、この研究室見学の渡航で大事だと感じたのは、同じ大学にいる他の研究室のポスドクや大学院生と知り合いになっておくことだと思う。私の場合は学部生時代の先輩から、同じ大学にいるポスドクのお友達を紹介してもらった。アポイントをとってできればご飯などを一緒に食べに行けるとよいと思う。現地の空気感を母国語で体験談として聞くことができるし、なによりいざ渡航するとなった場合にいろいろと教えてもらわないといけないので、相談できる相手を見つけるというのはとても大事だと感じた。
 日本に帰ってきてオファーレターにサインをして先方の事務に送って、晴れて留学先が確定した。

【2018年8月】
 アメリカの大学の事務から雇用手続きを進めるにあたって必要なメールが送られてくる。やったこととしては次の3つ。
・バックグラウンドチェック。(webサービスに登録。これは登録しただけで他には何もしていない。)
・英語力チェックのためのskype面接。大学の事務職員との面接。20分くらい世間話をして終了した。向こうから話を振られてくるというよりはこちらの留学に際しての不安点などを質問すると答えてくれるという感じ。TOEFLかIELTSのスコアを持っていれば面接にかえることができる。
・書類仕事諸々。この処理が遅れるとDS2019という書類が発行されるのが遅くなるらしい。ビザを取得するためには必須なのでなるべく早く対応する必要がある。9月になるとアメリカでは新学期が始まるため事務がどっと忙しくなるので、8月中に終わらせるようにとアドバイスがあった。この書類系に関しては印鑑をついて郵送みたいな日本的な文化は完全に排除されていて、大学が契約しているクラウドストレージにアップロードするように指示された。どこの州で就職するかで必要な書類は変わってくるのだと思う。とにかくわからないことはメールで聞いて、速攻終わらせるべし。

【2018年11月】
 DS-2019という書類が届く。この書類を持って大使館/領事館に行ってビザを発行してもらうようにと言われる。面接の前に大学が用意しているweb教材でビザ取得までの流れを把握しておくようにという指示があった。国際学会があったり、研究を進めないといけなかったり、博士論文を書いたりしなくてはいけなかったので、結局1月まで放置してしまう。

【2019年1月】
 重たい腰を上げて領事館のサイトから面接の予約をする。私の場合は大阪だったのでそんなに混んでいなかったが、東京では繁忙期になると1週間後まで予約が取れないこともあるらしい。予約時間の枠が決まっているので、自分の希望する時間を選ぶ。朝一番の時間が定石とのこと。
 大阪での面接では次の3つのことを聞かれて、あっという間にビザがおりてしまった。
・何を研究するのか。
・どれくらいの期間いるのか。
・誰がお給料を払うのか。
私の前の人も同業者と思われる話の内容だったけど、めちゃめちゃ話をしていた。理由はわからない。私の場合は必要最低限の書類の他に、大学からのオファーレター、預金通帳、これまでに発表した論文、卒業見込証明書を持参して、預金通帳以外はその場で面接官に出した。その書類もチェックしていたので、それが効いていたのかもしれない。
1週間もしないうちにビザが郵送されてきた。

【2019年3月】
 家探しをスタート。ネットでもある程度情報は見ることができるので、現地にいる知り合いにどのエリアがいいかなどのアドバイスを受けながら候補を探していった。日本人コミュニティ内でアパートのサブリース相手を探している場合もあるので、そういう情報も仕入れるとよりスムーズに住みやすい家を探すことができると思う。あとはラボメンバーに相談するのもかなり有効な手段だと思う。日本人価格感覚ではない家賃相場が知りたくて、ラボメンバーに相談したらシェアハウスを申し出てもらった。結局はそこに住むことにして、今はとても満足な暮らしができている。シェアハウスは相手次第なので、知らない人とのいきなりの共同生活は大変かもしれない。私のシェアハウス相手は日本人の友だちになんとなく似ていたのと、研究室見学に行った時に人当たりのよさが感じ取れたのでサクッと決めてしまった。
 大学の事務からは1週間前くらいに現地入りをしてAirbnbやホテルで借りぐらしをしながら家を探したらいいとアドバイスを受けた。私のケースはかなりラッキーでそうやって家を探すのがスタンダードらしい。

【2019年4月】
 飛行機のチケットを予約。我ながら遅い。本当に留学する気があるのかと言われた。もっと早くに取るべきだったとは思うが、やり残している研究で頭が一杯だったのと、どのくらい実家に滞在するかを決めあぐねていたらギリギリに予約することになってしまった。
 実際は3月末にラボを引き上げて、2週間弱実家に滞在した。実家にこんなに長く滞在できる期間はもう人生においてないかもしれないので、自分にとっても親にとってもいい時間になったのではないかと思う。
 出国当日は、パスポート、DS-2019、SIMフリーの携帯、クレジットカード(お金)を持っていることだけは10回くらい確認して、他のものは最悪お金で解決しようという大船に乗った気持ちで家を出た。
 入国審査でも基本的はビザの面接と同じことしか聞かれなかった。あとは住む場所に関しても聞かれたが、住むアパートが決まっていたのでスイスイ進むことができた。

以上の手続きで大事だと感じたのは事務作業はなるべく早くやって、わからないことはちゃんと質問するということと、あとは現地の知り合いを作っておくことだった。
 事務作業で対応してくれる相手は外国人相手をするプロなので、多少英語がおかしくても理解してくれるし、分かりづらいことは言い換えて説明してくれる。研究室同期もアメリカに留学するのだが、諸般の事情で事務作業を遅らせていたらDS2019の書類が3月中に準備できず、渡航の予定がずれたと言っていた。
 現地の知り合いは渡航までにはいろいろなことで相談にものっていただいたし、到着当日は空港まで迎えに来てくださって、最初に生活を始めるにあたって必要なものの買い出しにも付き合ってくださった。こうした人の助けがなかったら最初の買い物はとても苦労すると思う。

これから留学を考えているかたの参考に少しでもなれば嬉しい。